集中力がないので読むことにしたが、あまりにも集中力がないので完読できなかった。内容を忘れないようにメモしておこうと思う。
まあ、大体こういう能力開発本、仕事術本などというのはそれ自体が巨大なバイアスのようなもので、それを知らずに読んでも血にも肉にもならないとは思う。
以下、得られた気づき、もとい要約及び感想
二つの作業を並行するときは(少しでも)環境を変えるべきである
これはかねてから薄々感じていたこと。同じくらい差し迫った二つのタスクが混在する状況は、間違いなく脳を疲弊させる。何事も、アンビバレンツな部分を「分ける」ことが心理的安定への第一歩な感じがする。
集中するまでは気長に取り組む
一般論として、集中していないことに焦りを感じたら負けである。いまいち気分が乗らないときにはゆっくりと丁寧にやればいい。
作業の成果、フィードバックを定期的に確認する
これは、「何かを作る」作業においては自動的に達成できることである。こうブログを書いていると、少しずつ文字数が増えていくことが当たり前だけど分かる。しかし成果が目に見えない作業をするときはどうだろうか。これは少し考えてみるべきであろう。
心理学かなんかには即時強化という概念があって、行動した結果が直ちに現れる状態で人間は最大限の集中を発揮することができるらしい。音ゲーはその真骨頂である。ボタンを入力してもその場では何の音もならず、判定文字も出ず、ゲージも上昇せず、曲が終わった後に「総合成績」だけが一覧になって表示されるビートマニアのつまらなさを想像してみるとよくわかる。
「わからない」を大切にする
知的好奇心はあらゆるモチベーションの源泉である。それはなんとなく知っていたが、逆に考えれば、何かのモチベーションを得るためには、それに対する少しの知的好奇心を徐々に膨らませていけばいいのだ。まあそれが出来たら苦労はしないものである。
パソコンを使った作業は疲れる
私はパソコンという道具が好きで、なぜなら脳の回転に最もダイレクトに呼応するツールだから。古いPCであれば動作が遅く、自然と使い手との思考の距離が空いていたものだが、最近のPCはどれも人間が考えるより先に反応しているように思うし、PCを使う人は「その状態」になることを兼ねてより求めていたはずだ。しかし、このダイレクト感こそが、脳に当初想定されていなかった規模の負荷を与えていると言われれば、確かに不思議はない。人間がPCの処理を待たされる時代ではなくなった今、逆に人間がPCを待たせるくらいの付き合い方をするのが却ってよいのかもしれない。
それこそ、PCを使うと仕事から趣味からゲームまで様々な作業が「並行して」可能になるが、ある程度は意図的に作業内容によって環境に変化を与えたほうが良い気もしてきた。メインマシンがノートPCならば、作業内容を変えるごとに場所を変えてみるとか、デスクトップPCならば、思い切ってキーボードを変えてみるとか、そういう配慮も求められているのかも。
集中力を持続させるのは、「変化に乏しい環境」である
なんとなくだが、私は変化に満ちた環境にいたほうが生きている感じがする。では変化に乏しい環境に居るときはどうすればいいのだろうか? 何か集中を要する作業をする場所にすればいいのだ。逆転の発想ができる命題。
つらいこと、面倒な作業は短時間ごとに刻む。楽しいことは長時間一気にやってよい
要するに、「これは面倒!」と思う気持ちにも、「これは楽しい!」と思う気持ちにも素直に従えということ。自己受容って大事なんだなあ。
これも無意識のうちに普段実行していたが、面倒な作業(家事など)を場当たり的に刻みすぎて収拾がつかなくなることも多かった。いっそ、「何事も一気に済ませるべき」という観念を取り払って、最初から分割するつもりで臨んだほうが良い結果になるかもしれない。
あるいは、どうしても気が進まないことは何かの「ついで」にやると良い、という記述も見かけたが、気が進まないことはたとえ「ついで」であっても気が進まないものである。
作業を中断するときは、キリの良いところまで進めておかないほうが、再開時に集中力を得やすい
これもなんとなく感じていたこと。特に作曲する時なんか、32小節全部打ち込んで満足してからその日の作業をやめる、とやると、そのプロジェクトファイルはおそらく二度と開かれなくなる。すぐにはフレーズが思いつかない箇所はそのまま残しておけば、後日開いて続きを作るモチベーションが生まれるものである。長らく自分の中で整理のついていなかったこの現象にも正当性があることが判明し、満足である。
また、難しくて手が詰まった場所は飛ばして後でやる、という方法の有効性も取り上げられていたが、これが効力を発揮するのは、「手が詰まった場所で多少は悩んだ」場合に限るらしい。この「多少悩む」時間は一見無駄に見えるのだが、精神的には必要なプロセスなのだろうか。まあ言われてみればそんな気も。
ここでは主に本書の1~2章の内容をメモしている。
これ以降、3~6章にも有益な情報は書かれているが、個人的に必要としている内容ではなかったので省略する。闘争心を掻き立てるため、試合前は断食し水さえ飲まないプロボクサーがいるという話はちょっと面白かった。
まあ、大体こういう能力開発本、仕事術本などというのはそれ自体が巨大なバイアスのようなもので、それを知らずに読んでも血にも肉にもならないとは思う。
以下、得られた気づき、もとい要約及び感想
二つの作業を並行するときは(少しでも)環境を変えるべきである
これはかねてから薄々感じていたこと。同じくらい差し迫った二つのタスクが混在する状況は、間違いなく脳を疲弊させる。何事も、アンビバレンツな部分を「分ける」ことが心理的安定への第一歩な感じがする。
集中するまでは気長に取り組む
一般論として、集中していないことに焦りを感じたら負けである。いまいち気分が乗らないときにはゆっくりと丁寧にやればいい。
作業の成果、フィードバックを定期的に確認する
これは、「何かを作る」作業においては自動的に達成できることである。こうブログを書いていると、少しずつ文字数が増えていくことが当たり前だけど分かる。しかし成果が目に見えない作業をするときはどうだろうか。これは少し考えてみるべきであろう。
心理学かなんかには即時強化という概念があって、行動した結果が直ちに現れる状態で人間は最大限の集中を発揮することができるらしい。音ゲーはその真骨頂である。ボタンを入力してもその場では何の音もならず、判定文字も出ず、ゲージも上昇せず、曲が終わった後に「総合成績」だけが一覧になって表示されるビートマニアのつまらなさを想像してみるとよくわかる。
「わからない」を大切にする
知的好奇心はあらゆるモチベーションの源泉である。それはなんとなく知っていたが、逆に考えれば、何かのモチベーションを得るためには、それに対する少しの知的好奇心を徐々に膨らませていけばいいのだ。まあそれが出来たら苦労はしないものである。
パソコンを使った作業は疲れる
私はパソコンという道具が好きで、なぜなら脳の回転に最もダイレクトに呼応するツールだから。古いPCであれば動作が遅く、自然と使い手との思考の距離が空いていたものだが、最近のPCはどれも人間が考えるより先に反応しているように思うし、PCを使う人は「その状態」になることを兼ねてより求めていたはずだ。しかし、このダイレクト感こそが、脳に当初想定されていなかった規模の負荷を与えていると言われれば、確かに不思議はない。人間がPCの処理を待たされる時代ではなくなった今、逆に人間がPCを待たせるくらいの付き合い方をするのが却ってよいのかもしれない。
それこそ、PCを使うと仕事から趣味からゲームまで様々な作業が「並行して」可能になるが、ある程度は意図的に作業内容によって環境に変化を与えたほうが良い気もしてきた。メインマシンがノートPCならば、作業内容を変えるごとに場所を変えてみるとか、デスクトップPCならば、思い切ってキーボードを変えてみるとか、そういう配慮も求められているのかも。
集中力を持続させるのは、「変化に乏しい環境」である
なんとなくだが、私は変化に満ちた環境にいたほうが生きている感じがする。では変化に乏しい環境に居るときはどうすればいいのだろうか? 何か集中を要する作業をする場所にすればいいのだ。逆転の発想ができる命題。
つらいこと、面倒な作業は短時間ごとに刻む。楽しいことは長時間一気にやってよい
要するに、「これは面倒!」と思う気持ちにも、「これは楽しい!」と思う気持ちにも素直に従えということ。自己受容って大事なんだなあ。
これも無意識のうちに普段実行していたが、面倒な作業(家事など)を場当たり的に刻みすぎて収拾がつかなくなることも多かった。いっそ、「何事も一気に済ませるべき」という観念を取り払って、最初から分割するつもりで臨んだほうが良い結果になるかもしれない。
あるいは、どうしても気が進まないことは何かの「ついで」にやると良い、という記述も見かけたが、気が進まないことはたとえ「ついで」であっても気が進まないものである。
作業を中断するときは、キリの良いところまで進めておかないほうが、再開時に集中力を得やすい
これもなんとなく感じていたこと。特に作曲する時なんか、32小節全部打ち込んで満足してからその日の作業をやめる、とやると、そのプロジェクトファイルはおそらく二度と開かれなくなる。すぐにはフレーズが思いつかない箇所はそのまま残しておけば、後日開いて続きを作るモチベーションが生まれるものである。長らく自分の中で整理のついていなかったこの現象にも正当性があることが判明し、満足である。
また、難しくて手が詰まった場所は飛ばして後でやる、という方法の有効性も取り上げられていたが、これが効力を発揮するのは、「手が詰まった場所で多少は悩んだ」場合に限るらしい。この「多少悩む」時間は一見無駄に見えるのだが、精神的には必要なプロセスなのだろうか。まあ言われてみればそんな気も。
ここでは主に本書の1~2章の内容をメモしている。
これ以降、3~6章にも有益な情報は書かれているが、個人的に必要としている内容ではなかったので省略する。闘争心を掻き立てるため、試合前は断食し水さえ飲まないプロボクサーがいるという話はちょっと面白かった。
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